天に召された方々を想う
生きている人間は未完成である。
天におられる方はどなたも完結した人生を経験している。
僕にとって故人の存在を想うこと、それだけで生きる力が得られる気がする。

しかし、死んだ人間は「今」生きていないのだから自分の方が恵まれているという馬鹿げた考えを自分は持っていない、ということを完全に否定できるだろうか。
特に遊就館に展示されていた膨大な数の戦没者の顔を見た時に、「日常をバックにしたモノクロの戦没者」、「現在より続く年号・日付、また場所」という、その人一人々々の想いを想像できてしまう位のリアルさを前にして僕は何を思ったのだろうか。

いや、違うあの方々は神なのだ。
今さっき参拝を済ませて感傷はひとつ残らず感謝の気持ちに変えたのではなかったか。

完結した人生が短かければ短いほど、その美しさはよりその鮮やかさを増す。
感謝の気持ちはもちろんだが、その美しさに触れて自分を感化し、弱い自分が弱音を吐きそうな時に自然と戦没者に手を合わせるような、そんな気持ちを持つことが神々に奉げる鎮魂歌となるのだろうと、そう、思う。

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